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中高6年間を振り返っての所感

※この記事は去年の夏に書いた卒業文集を再編集したものです。「我ながら名文を書いたなあ」と思ったからブログに載せただけで、決して記事を書くのがめんどくさくなったわけではありません。

 

 

 

 

どうも。ドラゴンボールのヒロインは人造人間18号派のふっさんです。

 

卒業文集の内容ですが、出来ればこの年度のうちに卒業したい僕としては、後から読んだ時に自分がいつ卒業したのかがわかるように2016年に起きた出来事について書くというのがふさわしいように思えます。

 

そして、今文集を書いている2016年夏の一番ホットな話題といえば、一蘭梅田芝田店オープンリオデジャネイロ夏季オリンピックでしょう。

 

今回のオリンピック、日本選手は前回のロンドン五輪から見違えるような大活躍を見せたということは記憶に新しいです。僕が一番興奮したのは、ウサイン・ボルト選手の100m走でした。

 

しかし、オリンピックへの切符を獲得し、見事手に入れたチャンスを無駄にすることなく素晴らしい結果を残した選手たちがいる一方で、不祥事等さまざまな事情によって、オリンピックに出られる実力があるにもかかわらず出場を許されなかった選手、つまり「リオ決定じゃなかったべ!」な選手が大勢いることも事実です。

 

バトミントン、もといバドミントンの桃田賢斗田児賢一両選手がその最たる例といえるでしょう。方やメダル確実と言われていた日本バトミントン、もといバドミントン界のエース。方やロンドン五輪代表の経験もある実力派選手。彼らは共に違法賭博への関与が発覚したことで、無期限出場停止処分を受け、リオ五輪への出場を逃しました。どちらも名前に「賢」という文字が入っているというのは、運命のアイロニーを感じざるを得ません。

 

 

有力なアスリートの全盛期での失態という意味では、やはりあの事件のことを思い出さずにはいられないでしょう。

 

そうです。2003年の秋、TBS「SASUKE」第12回大会の2ndステージで起きた、山田勝己手袋取り忘れ事件です。

 

1990年代最大のマイルストーンが第二の加勢大周問題ならば、2000年代最大のマイルストーンはこの事件、あるいは和泉元彌ダブルブッキング事件であると言われています。時代の寵児である山田勝己さんの身に起きたこの事件は、全国に4000万人は潜在していると言われている彼のファンに悲嘆と失望を齎し、10日間にかけて日本列島が低気圧になりました。

 

元々、テレビ番組の一企画に過ぎなかったSASUKEになぜか命をかけることでプロスポーツにまで押し上げ、あえて自らは完全制覇しないことによってその価値を高めたというSASUKE界の生き字引であり人間国宝である山田勝己さんが、全国の鉄工所でアルバイトをしている中年男性たちの希望の星であることは言うまでもありません。彼はSASUKEに熱中するあまりガスボンベ配送業の職をリストラされ、妻子持ちでありながら再就職もせず妻の父親が経営する鉄工所でアルバイトしながらSASUKEトレーニングの毎日を送りました。そんな彼が造り上げた彫刻のような175センチ75キロの肉体は、そり立つ壁やクリフハンガーを攻略するにはあまりにも重すぎましたが、その芸術性は各方面から高く評価され日本の筋肉百選にも選ばれました。

 

もはやSASUKEといえば山田勝己さんであると言われています。実際渋谷の女子高生100人に聞いた山田さんに関するアンケートでは、90%以上が「誰?」と回答しています。山田勝己という存在が実生活に浸透しすぎて、もはや名前を聞いただけではパッと思い浮かばないのです。また、播磨町の鉄工所でアルバイトをしている男性1人に聞いたアンケートでは、100%が「自分」と答えています。山田勝己はSASUKEの象徴的存在としてSASUKEというコンテンツを広めるための情報生命体となり、インターネットミームを通して我々の脳に偏在しているのです。ちょうどlainみたいに。

 

SASUKE選手としての山田さんは、特に件の騒動が起きる第12回大会まではまさに無双の一言でした。

 

1stステージはノーミスで進んでいてもなぜか残り10秒の警告音が鳴ってしまうという抜群の安定性。SASUKEについてあまりにも知り尽くしてしまったために、そり立つ壁に一回失敗した段階でもう間に合わないと諦めて腰に両手をあてて立ち尽くす姿は既に入神の域に達しており、日本史の教科書の「現代美術」のページに載せるべきです。

 

2ndステージでの異常なまでのメンタルの弱さは、この後嫌というほどわかるのでここでは書かないでおきます。そして万全を期した3rdステージの最後の最後で着地に失敗してしまうという詰めの甘さは、古き良きSASUKEの伝統であり、山田らしさ、つまりSASUKEらしさそのものです。当時のSASUKEは99%の山田と1%の古館伊知郎で出来ていたといっても過言ではありません。

 

第10回記念大会ではゼッケンがいつもの1~100ではなく記念大会仕様の901番~1000番となり、山田さんは栄光のゼッケン1000を背負いました。

 

他の有力選手、例えば長野誠秋山和彦、竹田敏浩に山本進悟らが次々と1stステージで脱落していく中、山田さんは孤軍奮闘の活躍を見せ、3rdステージまで駒を進めました。

 

ゼッケン979番から21人連続で1stステージリタイアしていたという絶望的な状況でこの活躍ですから、当時の観客の盛り上がりぶりは欣喜雀躍の様相を呈していました。

 

3rdステージも自宅の仮想SASUKEセットを使った練習の甲斐もあって盤石に攻略していきますが、結果は第6回同様最終エリアのパイプスライダーで無念の着地失敗となってしまいました。

 

この後のインタビューで、山田さんが泣涕しながら残した名言「俺には……さ、SASUKEしかないんですよ……」はもちろん2002年の流行語大賞に選ばれましたし、この大会の視聴率は200%を超え、SASUKEは名実ともにTBSの看板番組となりました。

 

さて、史上二人目の完全制覇者である長野誠さんが32回大会をもって引退した今、その長野さんが私淑しSASUKEに挑戦するきっかけとなった山田勝己について語るのは至極自然な流れであり、山田勝己を論ずるにおいて手袋取り忘れ事件のことは避けて通れません。

 

時は第10回大会から1年が経った2003年の秋、SASUKE第12回大会。前回大会ファイナリストの長野誠にゼッケン100番を譲り、前回2ndステージバランスタンクでリタイアした山田さんはゼッケン98として自身12回目のSASUKEに挑みました。

 

1stステージ。山田さんは特につまずくことなく順調に各エリアを攻略していきましたが、慎重すぎるペースが祟って残り時間1秒を切ったところで間一髪のクリアとなりました。このエンターテイナー性が、1stステージを数十秒残しで軽々とクリアしてしまう近年の有力選手たちには足りないような気がしてなりません。

 

そして挑む2ndステージ。ここでついにあの事件が起きます。

 

2ndステージではスタートエリアのチェーンリアクションにおいて、安全上の理由から手袋の着用が義務付けられており、挑戦前に山田さんは「手袋すぐ脱げるんかな」とスタッフに語り掛けていました。

 

いざ山田さんの番となり、チェーンリアクションは問題なくクリアし、因縁のエリアスパイダーウォークへ手袋をはめたまま突入します。ここでは手袋を脱がなければいけないルールとなっており、競技中にスタッフも「山田さん!手袋外して!手袋!」と呼びかけましたが、集中のあまり山田さんは手袋を脱がずにそのまま突入。ゴールボタンを押したものの、スパイダーウォークで手袋を脱がなかったため失格となり、実況からそのことを告げられた山田さんは、さしったり、と膝に手をついて項垂れました。

 

本放送では上記のシーンまでしか放送されていませんでしたが、その後の模様が後日「ZONE」という番組で放送されました。この後山田さんはスタッフのもとへ歩み寄り、「手袋を脱がなければならないとは聞いていたが、それをしない場合失格になるとは聞いていない」とコペルニクス的転回過ぎるクレームをし、スタッフはめんどくさくなりその抗議を受け入れ、次の挑戦者であるヨルダン・ヨブチェフの挑戦前に2ndの再挑戦を行いました。

 

二度目の挑戦はタイムアップギリギリまで追い込まれ、ウォールリフティングの3枚目の壁に足を挟まれながら中指でゴールボタンを押したものの、判定はタイムアップ。山田さんはボタンを指差し、「押したんですよ!」と不調を筐体のせいにする音ゲーマーが如く主張しメカニカルトラブルではないかと再クレーム。普通こういう場面ではテレビ番組であるということも加味すれば忌憚するのが常識だとは思いますが、山田さんはこれに命を懸けていますからね。ゼッケン100番長野誠の挑戦が終わった後前代未聞の再々挑戦をする事となりました。ここまでSASUKEの為に狂妄した人間は、冗談抜きで後にも先にもこの人以外いないでしょう。

 

再々挑戦は体力を使い果たしたのか、ブリッククライムというただ突起のついた壁を上るだけのつなぎ的エリアで落下し、結果スパイダーウォークでタイムアップ。その後山田さんはスタッフの静止を振り切ってゴールへと進み、右腕一本で片側のゴールゲートを破壊。勢い余ってゴール地点の下に転落してしまいました。

 

その後正式な判定として「最初の挑戦時に手袋を外さなかったことによる失格」という裁定が告げられ、挑戦者のなかで唯一2ndステージをクリアできなかった山田さんは涙を流し「長野誠が俺の分までやってくれると思います」と語り、彼の一番弟子であり刎頸の友である長野さんも思わず涙しました。

 

皮肉にも、山田さんが自分の弱い精神を鍛えなおすために寺を訪れ、プロ野球選手もやっている「護摩行」という荒行を行った直後に起きた出来事でした。

 

その後2、3回の引退を挟んだのち山田さんはSASUKEに復帰しましたが、この大会を後に1度も1stステージをクリアしていません。

 

 

こう書くと、山田さんはたった一度の過ちでアスリート人生を棒に振ったかのように見えるかもしれません。

 

確かに第三者の目線で見ればそうかもしれませんが、当の山田さん本人は全くSASUKEを諦めていません。何度SASUKEに夢を阻まれ、辛酸を舐め続けようが、山田さんにはSASUKEしかないのです。山田さんは黒虎という軍団を作り、後進に完全制覇の夢を託す一方、自身も弟子とともに日々トレーニングに励み、虎視眈々と出場機会を伺っています。

 

今の山田さんはただSASUKEにしがみついているだけの運動神経の鈍い筋肉ダルマのオッサンかもしれない。でも、ウサギだろうがカメだろうが、最後まで走り続けているヤツが一番偉いのです。

 

何度引退してもSASUKEへの情熱を捨てきれずにまた復活する山田さんの姿は、一度や二度の失敗で目標を棄ててしまう我々現代人に「諦めたらそこで試合終了ですよ……?」と教訓を与えているような気がしてなりません。

 

50歳になってもSASUKEに挑戦し続ける人がいる。大学時代にホモビデオ出演が発覚しドラフト指名を回避されてもプロ野球選手になれた人がいる。桃田、田児両選手も今回のことでめげずに次の東京オリンピックに向けて再起を図ってほしいものです。

 

瑕疵の無い人間なんていません。路線を外れてしまった人が、過ちを犯してしまった人が、一度は夢を諦めてしまった人が、ホテルの従業員に手を出してしまった人が、もう一度夢に向かって邁進することができる。そんなSASUKEを枢軸とした社会を山田勝己とともに作っていきたいです。

 

あ、僕が一番好きなSASUKE出場者は高橋賢次さんです。