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「赤ちゃんにはちみつはタブー」って本当に「一般常識」?

野球中継で投手が打者にデッドボールを当てると、たまに実況とか解説の人が「これは当てたピッチャーも痛いですね」って言いますよね。

あれを聞くたび「DV夫の自己弁護かよ」ってツッコミを入れてしまいます。当てられた方が痛いに決まってるでしょ。

 

 

「一般常識」の線引き

数日前、「市販のジュースにはちみつを混ぜた離乳食を赤ちゃんに食べさせたところ、乳児ボツリヌス症で死亡した」というニュースをめぐり、Twitterが荒れに荒れました。

特に「こんなことも知らないとか情弱過ぎる」「母親なんだからそれくらい知っておくべき」みたいな見解がよく見受けられました。

もちろん、こういったコメントを投稿している人たちのほとんどは小さい頃からこの知識を知っていて、常識だと思っているのでしょう。

ですが、これって本当に一般常識なんでしょうか。

 

乳児ボツリヌス症とはちみつとの因果関係が明らかになり、正式に「1歳未満の乳児にはちみつを与えてはならない」と厚生省が通知したのは1987年のことです。戦前からの常識とかならともかく、つい30年ほど前に明らかになった生物学的知識が、日本全国の子を持つ人間にとって絶対的な既知の事実ということがあり得るんでしょうか。

それとも、こんな懸念をしてしまうこと自体大変失礼なんですが、「赤ちゃんにはちみつはタブー」であることを「一般常識」だと豪語している人たちは、もしかすると後知恵バイアスに酔っているだけなのかもしれません。

 

後知恵バイアスとは何か

後知恵バイアスとは、物事が起きてからそれが予測可能だったと考える傾向のことです。

所謂「そうだと思った」「そうなるって分かってた」ってヤツです。

麻雀でもいますよね。放銃したくせに後から「うわ~やっぱり。この牌当たると思ってたんだよな~」とか言っちゃう人。じゃあ最初から切るなよ。

 

でもこれだけだと「後知恵バイアスに酔っちゃダメなの?確かに結果論でものを語る人は気に入らないけど、言ってることは正論だし、啓蒙活動は悪いことじゃないでしょ」と言われてしまいそうです。

ですが、断言します。

後知恵バイアスに酔っても何のメリットもない!

 

なぜ後知恵バイアスに酔うとダメなのか

後知恵バイアスに酔った人間による啓蒙活動、これ自体は価値があると思います。実際、僕もわざわざ教えを乞わなくても勝手に啓蒙してくれる人が常時Twitterのタイムラインに流れてくるおかげで、たくさんの「一般常識」を知ることができました。しかし、後知恵バイアスに酔っている側の人間は何も得られません。

後知恵バイアスにかかって、Twitterで結果論を垂れ流してしまう思考プロセスはこんな感じです。

 

ニュース等を見ることにより、ある知識Aを知る

後知恵バイアスによって、「自分は以前から知識Aを知っていた」と思い込む

知識Aを知らない人に教えたくなる

ついでに「知識Aは一般常識」ということにすれば、啓蒙と同時にマウンティングもできちゃうじゃん!一石二鳥!俺って天才!バース!メンチ!コンラッド

 

こうなってしまうと、もう後がつけられません。この一連の流れが悪い事件を見たことによって起きたなら、「そうなることはわかっていたはずだ」と不当にモノや個人に対する評価を下げ、良い事件なら、「こうすれば必ずうまくいくと思ってた」とたとえギャンブル的要素が強くてもその決定を不当に高く支持してしまいます。

いずれにしても、後知恵バイアスによって「自分は常識のある人間だ」と勘違いしてしまい、意思決定の質が格段に落ちてしまうことは明らかです。

また、新しい知識に対する感度が悪くなり、本当は未知である情報であっても「俺はそんなこと昔から知ってたから」と流してしまいがちになります。

 

後知恵バイアスは、知識にとっての血栓のような存在です。早期発見を心掛け、見つけ次第除去することが大切です。

まあ、纏めると

「知ってるやろ」は馬鹿野郎

以上です