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「読める」と「書ける」

毎年この季節になると、日本中の桜の木を全部切り倒したくなります。

一体なんなんでしょう、あの過保護具合は。1年に1回、それも長くて2週間程度しか咲かない木をなぜあそこまで大事に保護したがるのでしょう。僕だって年に数週間でいいなら幾らでも本気を出すのですが。

 

 

今朝、「線」という漢字を書こうとしていたのに無意識のうちに「綿」と書くという、とても義務教育を受けた人間とは思えないようなアクシデントが起きました。

こういうことは度々起きるものだと分かってはいるものの、流石に「線」を書き間違えるとなるとその精神的ショックは凄まじく、今までずっと寝込んでいました。この事件は世界の経済状況にも大打撃を与え、半日にしてダウ平均株価が14ドルまで落ち込みました。

 

インターネット、そしてウェアラブルバイスの台頭は「読める」と「書ける」の間の溝を深めたように感じます。自分の住所や名前以外の漢字を「書く」機会は皆無となり、漢字はただ読み方さえ分かれば良いという環境になりました。

 

「読める」と「書ける」の乖離現象は、漢字だけに留まりません。毎日のように小説を読んでいて、自分もいつか小説を書きたいと思っているにもかかわらず、結局一文字も書いていない人とかザラにいますよね。僕だってその1人です。

 

文章に限らず、絵や動画を含め、ネットによって閲覧するインプットの時間は急激に増えました。しかしながら、創作活動、つまりアウトプット作業に割く時間は減る一方です。

 

インプット作業だけに徹し、アウトプットを疎かにするというのは、ほぼ全ての趣味や仕事において人間が陥りやすい失敗パターンと言えます。特に最近はネットの反応を恐れて、アウトプット作業をしなくなりがちです。

 

ですが、アウトプット作業をすれば、自分の弱点は一目瞭然となります。さらに、インターネットによって多くの人からアドバイスを受けやすくなりました。PDCAサイクルなんて大それたことを言うまでもなく、アウトプットしたものを省みるという作業は、大量のインプットよりずっと役に立ちます。

 

まあ、纏めると、

処女は早く捨てましょう

以上です