大阪の夏は暑い

 ことブログの世界においては俺は「天才」と一目置かれているんやけど、最近ちょっと困ったことがあるんよね。

 

 ブログのネタが一切思いつかないんよ。

 

 やれ、一月に100万PVだのという数字を叩き出している人気ブログを見ていると分かるんやけど、ブログのPVを増やすには「沢山記事を書くこと」がまず必須条件なんよね。

 いくら「神に愛されたブロガー」とまで称された俺でも、ブログの世界で重要なのは質より量。少数精鋭で大軍を迎え撃つテルモピュライの戦い的なことはどうやっても無理なんよ。

 

 だから、これからそばつゆ一気飲みブログのPVを10垓(がい)以上にするためには、兎に角記事を書かねばならん。

 そこで、酷暑のせいで大脳新皮質がふやふやになってしまった俺は、清少納言に助言を請うことにしたんや。

 

 清少納言といえば、ご存知「枕草子」の作者。日本の文学史上に名を残す人やね。

 

 「枕草子」の内容は大きく分けて「随筆、評論(随想章段)」「日記(回想章段)」「テーマに沿った単語の羅列(類聚章段)」の3つなんやけど、随想の中に評論文が入り混じっているのは現代のブログに近いものを感じるね。

 

 ところで、清少納言平安時代に文庫本一冊分程度のブログを書いたわけやけど、これってものすごい大変やことやと思うねん。

 だって平安時代の貴族ってめちゃくちゃ暇やで?ネットもテレビも雀荘も無く、やることと言ったら和歌書くくらいやで?もし俺が平安時代の貴族だったら、日記に「うんこめっちゃ出た」とかしか書けないと思う。

 せやから同時期に活躍した紫式部の方がまだ理解できるんよ。小説っていうのはとどのつまりファンタジーやから、いくらでも想像で書ける。むしろ何も無くて暇な時間が多い人の方が沢山想像力を働かせることができるからね。

 

 で、なんで清少納言はそんなクソつまんない生活の中で随筆を書き上げることができたかって考えると、「類聚章段」のおかげのような気がするんよ。

 類聚章段、通称ものづくしは、あるテーマに沿って単語を並べるだけっていう超単純な構造なんよ。それゆえ簡単だから入試問題なんかでは一切取り扱われることはないけど、実際枕草子を読むと結構このものづくしが登場するんよね。

 例えば、23段「たゆまるるもの」

 たゆまるるもの。精進の日の行ひ。遠きいそぎ。寺に久しくこもりたる。

(現代語訳)

怠けがちなもの。

精進の日のお勤め。遠い予定のための準備期間。お寺に長く籠って修行すること。

 

 こんな感じで、清少納言は随想章段や回想章段のネタが思い浮かばない時に、比較的労力の少なくて済むものづくしでお茶を濁したんちゃうかな。

 せやから俺も清少納言の力を借りて、ブログに書くことが無い時はものづくしで誤魔化そうと思う。

 

 

興奮するもの。

テスト当日の警報。山田勝己のそり立つ壁挑戦。cv.植田佳奈。cv.伊藤美紀。cv.田中理恵。うんこめっちゃ出た時。

 

 

以上

 

アビゲイル

「アビゲイルって、何だっけ…」

真夏日の昼下がり、予備校の自習室。クーラーの効いた部屋で英語の長文を読んでいると、ふとそんな疑問が浮かんだ。

アビゲイル。

おそらく自分の人生の中で、17回くらいは見たであろう単語。

今朝あたりにツイッターのトレンドに出ていたその単語を、俺は確かに知っていた。

なのに今、俺はアビゲイルの意味を一切覚えていない。

 

そこで俺は、アビゲイルの意味を類推することにした。

アビゲイルという語感的に、おそらく何らかの人名であることは確かである。

そこで、後ろにさまざまな敬称をつけてみる。

アビゲイルさん

アビゲイルくん

アビゲイルちゃん

アビゲイル殿

アビゲイル様

アビゲイル総理

アビゲイル先輩

アビゲイル部長

アビゲイル市長

…ん?アビゲイル市長?

市長といえばハガー市長が有名だ。ハガー市長が出てくるゲームといえばファイナルファイト……

 

アアアアアア!!!!!!!

 

思い、出した…!!!あのハードゲイみたいな格好で襲いかかってくるモヒカン、あれこそアビゲイル!!!!!

 

 

みなさんも、アビゲイルのことを忘れそうになったら是非この「敬称付け類推」を使って欲しい。そうすれば、いつでもアビゲイルのことを思い出すことができるぞ。

 

以上

 

 

 

自己憐憫は悪ではない

 近頃、あたかも「自己憐憫は悪である」かのような論調が流布している。

 Twitterで「自己憐憫」と検索すると、ほぼ99%がネガティブなものとしてこの言葉が扱われており、どうやら自己憐憫とは、「抱いてはいけない感情」である、と彼らは考えてるようだ。

 しかし僕が思うに、自己憐憫は別に卑下する必要もなければ、唾棄すべき負の感情でもない。

 

 そもそもなぜ自己憐憫が起こるのか?理由は多々あると思うが、最も大きな要因は「自分の目標(理想の自分)と置かれている現状(現在の自分)とのギャップ」だろう。

 現在の自分に強い自己憐憫を感じる人間というのは、言い換えれば自分に対して強い期待を抱いている。自分への期待値が高ければ高いほど、将来の夢や展望を高望みする。これは決して悪いことではなく、そういう人間は実際その高みにたどり着く可能性を秘めている。

 自分に対して殆ど期待をしていない人間というのは、対照的に自己憐憫を感じることはない。 

 マイナスの感情に苛まれることを恐れ、自分への期待値が低いと、たとえ大きく成功するチャンスに巡り合えても、自分で限界を設定してしまう。マイナスを避けることは、プラスを素通りしてしまうことと表裏一体なのだ。

 

自己憐憫が強い人間と弱い人間というのは、どちらが善でどちらが悪という問題では無い。あくまでもそれぞれタイプが違う人間だというだけだ。そこに優劣をつけようとするのは、大振りでホームランが狙えるが打率が低いバッターと、バットを短く持って常に高打率を維持するバッターを比べるようなものだ。

 

 本当にダメなのは、自己憐憫自体ではなく、自己憐憫が習慣化し、常にマイナスの感情ばかり表出してしまうことだ。この場合、必要なのは論理による説得や励ましではなく適切なカウンセリングである。

 

個性と心的問題を同一視してはならない。

「三角食べ」はウソ!本当に適切な食べ方とは

まあ、ご飯の食べ方といってもいろいろある。

中でも、その食べ方や注文内容によって、最もその人の個性が分かれるチェーン店といえば、ご存知やよい軒に他ならない。

 

現在、俺はやよい軒の食べ方によって9パターンの自己分析ができる「ヤヨイグラム診断テスト」というものを作っている。完成にはあと8年ほどかかるが、これができた暁には俺は億万長者となり、二度とやよい軒に足を運ばない人生を送れるだろう。

そこで、まだ完成はしていないものの、ヤヨイグラム診断の一部をお見せしようと思う。

 

まずは、やよい軒に行く時間帯だ。

これによって、「昼やよい」か「夜やよい」の二パターンに分かれる。

昼やよいは、主にパチンコの合間に来る客が多い。対して夜やよいは、パチンコ帰りの客が大半を占める。

ここで気をつけたいのは、同じパチンカスでも、昼やよい型パチンカスと夜やよい型パチンカスでは全く指し示す意味が違うということだ。

本来、パチンコとは還元率30%を切る「負けるべくして負けるギャンブル」である。昼ならまだしも、夜にやよい軒で晩飯が食えるほどの金を残しているパチンカスなど本来いないのだ。

つまり、夜やよい型のパチンカスは、パチンカスの中でも奇跡的にパチンコで勝つことができた者。圧倒的勝ち組のパチンカスである可能性が高いのである。しかしながら、パチンカスとは得てして負け組である。勝ち組でありながら負け組になる運命を背負うことになるアンビバレンスな行為、それが夜やよいなのである。

 

次に注目すべきが、頼むメニューである。

「4種のチーズハンバーグミックス定食」や「特盛厚切りカルビ定食」を頼む客は、間違いなくブルジョワジーだ。彼らはその財力を生かし、ご飯のおかわりを一切せず、定食について来るポテトを残すというカルロスゴーンのような食べ方をする。

おそらく彼らは圧倒的支配者層であり、イルミナティメンバーであり、新世界秩序を作ろうとしているグローバリストに違いない。俺が昨日覚えた英単語を何一つ覚えていないのも、おそらく奴らの電磁波攻撃を受けているからだろう。

対照的に、「鯖の塩焼き定食」やサイドメニューしか頼まない客は、全財産が700円しかないのにやよい軒に来た狂人である可能性が高い。関わり合わないことをおすすめする。

 

本当はまだまだ項目があるのだが、これ以上書いているとその間にやよい軒の味噌汁が冷めてしまうので、ここまでにしておこう。

 

 

僕は元気です。

 

 

 

 

 

 

全ての物語の読後感は「安心感とカタルシス理論」で説明できる

皆様、ゴールデンウィークはいかがだったでしょうか。

 

僕は浪人生故に日本での基本的人権が認められていません。なので、ゴールデンウィークとか関係なく2週間以上休みがありませんでした。

 

しかし、ゴールデンウィークに休みがないことによって、連休明けのあの絶望感に満ちた心境で月曜日を迎えることもなく、今日も弥勒菩薩のような表情で授業を受けることが出来ています。やったね。

 

 

読後感を決定する二大要素

「安心感とカタルシス理論」という言葉をご存知でしょうか。

 

今僕が考えた言葉なので、おそらく知らないと思います。

 

端的に言ってしまえば、アニメ、漫画、小説、映画その他の「物語(ストーリーライン)」を分類するための基準です。

 

といっても、僕なんかが世の中全ての物語を分類しようというのはあまりにも差し出がましいですよね。

 

この基準は、あくまでも物語の要素のうちの一つ「読後感」に的を絞って分類するためのものです。

 

それにしても、僕たちはなぜ物語が好きなのでしょうか。

 

おそらく、それは「気持ちいいから」です。

 

僕たちは、殺生院キアラほどではありませんが、それなりに気持ちいいことが好きです。

 

長編であれ短編であれ、必ずそこには「読後感」といった言葉で表される気持ちが芽生えるはずです。

 

そして、僕たちはわざわざ自分が不快になるために物語を読みません。意識的あるいは無意識的に、自分が読みたい小説を読んだり、自分が観たい映画を観たりします。

 

物語が人間にもたらす快感は、大きく二つに分けられます。

 

「安心感」と「カタルシス」です。

 

僕が私淑するブロガー、ハルマキさんの言葉を借りれば、「安心感」=「ダウナー系脳内麻薬」、「カタルシス」=「アッパー系脳内麻薬」ということになります。

 

ゴルゴ13は日常系の極致

まず、「安心感」の方から説明します。

 

安心感指数が高い物語の例として、「ドラえもん」「日常系アニメ」「ゴルゴ13」「むこうぶち」「釣りバカ日誌」「24シリーズ」などが挙げられます。

 

一見、何の関連性もないように見えますが、これらの作品にはある共通点があります。

 

それは、「同じようなストーリーラインを繰り返す」ということです。

 

ドラえもんは必ずのび太くんをひみつ道具で助け、そのチャンスをのび太は毎回ふいにします。

 

ゴルゴ13が死ぬということは絶対にありません。彼は必ず自分のルール通りに行動し、正確に任務を遂行します。

 

ゴルゴ13は特に安心感の要素が強く、「究極の日常系」と言えるでしょう。

 

安心感の指数が高い物語は、似たようなストーリーラインを、使う道具や目標を変えることによって新鮮味をもたせながらなぞっていくという傾向があります。つまり、様式美を崩さないということです。

 

このような物語は、安心して観ることができ、かつ、ゲームのように飽きることなくいくらでも楽しむことができます。

 

 マリみては王道少年マンガ的ストーリー

カタルシス」というのは、まさにその逆。どんでん返しに次ぐどんでん返し、観る側は常にハラハラドキドキ。終わった後はぐったりと疲れ、日常生活では感じられない満足感と多幸感に包まれます。

 

カタルシス指数の高い物語の例としては、「マブラブオルタネイティヴ」「魔法少女まどか☆マギカ」「コードギアス」「マリア様がみてる」「ベルセルク(黄金時代)」「半沢直樹」「シリーズものでない映画全般」等です。小説やノベルゲームでよくある「伏線回収」もカタルシス指数の高い展開です。

 

これらの物語は、主人公が幾度となく危機に陥ったり、主要な登場人物がバンバン死んだりします。

 

マリア様がみてる」も、女子校という小さな世界の中の出来事ですが、等身大の女子高生の視点から見れば、レイニーブルー黄薔薇革命など明らかに危機的といえる状況が何度も発生します。少女小説でありながら男性からの支持も強いのは、随所に少年漫画のような「友情・努力・勝利」のエッセンスが散りばめられているからかもしれません。

 

カタルシス指数の高い物語は、危機を脱した時のほっとした感じを思う存分味わうことができますが、かなりのカロリーを消費するのでそう何度も読み返したりできるものではありません。映画は基本的に一話完結的で尺も長くて3時間なので、カタルシス指数の高い物語が多いです。

 

残念ながら、安心感とカタルシスを両立することは不可能です。天秤の両端に、安心感とカタルシスを同程度用意することは可能ですが、それは安心感指数の高い物語とカタルシス指数の高い物語をただ折衷しただけのものになります。

 

二つのどちらかが良いとかいうのではなく、それぞれの長所短所を理解することで、これからの皆様のオタクライフの一助となれば幸いです。

 

中高6年間を振り返っての所感

※この記事は去年の夏に書いた卒業文集を再編集したものです。「我ながら名文を書いたなあ」と思ったからブログに載せただけで、決して記事を書くのがめんどくさくなったわけではありません。

 

 

 

 

どうも。ドラゴンボールのヒロインは人造人間18号派のふっさんです。

 

卒業文集の内容ですが、出来ればこの年度のうちに卒業したい僕としては、後から読んだ時に自分がいつ卒業したのかがわかるように2016年に起きた出来事について書くというのがふさわしいように思えます。

 

そして、今文集を書いている2016年夏の一番ホットな話題といえば、一蘭梅田芝田店オープンリオデジャネイロ夏季オリンピックでしょう。

 

今回のオリンピック、日本選手は前回のロンドン五輪から見違えるような大活躍を見せたということは記憶に新しいです。僕が一番興奮したのは、ウサイン・ボルト選手の100m走でした。

 

しかし、オリンピックへの切符を獲得し、見事手に入れたチャンスを無駄にすることなく素晴らしい結果を残した選手たちがいる一方で、不祥事等さまざまな事情によって、オリンピックに出られる実力があるにもかかわらず出場を許されなかった選手、つまり「リオ決定じゃなかったべ!」な選手が大勢いることも事実です。

 

バトミントン、もといバドミントンの桃田賢斗田児賢一両選手がその最たる例といえるでしょう。方やメダル確実と言われていた日本バトミントン、もといバドミントン界のエース。方やロンドン五輪代表の経験もある実力派選手。彼らは共に違法賭博への関与が発覚したことで、無期限出場停止処分を受け、リオ五輪への出場を逃しました。どちらも名前に「賢」という文字が入っているというのは、運命のアイロニーを感じざるを得ません。

 

 

有力なアスリートの全盛期での失態という意味では、やはりあの事件のことを思い出さずにはいられないでしょう。

 

そうです。2003年の秋、TBS「SASUKE」第12回大会の2ndステージで起きた、山田勝己手袋取り忘れ事件です。

 

1990年代最大のマイルストーンが第二の加勢大周問題ならば、2000年代最大のマイルストーンはこの事件、あるいは和泉元彌ダブルブッキング事件であると言われています。時代の寵児である山田勝己さんの身に起きたこの事件は、全国に4000万人は潜在していると言われている彼のファンに悲嘆と失望を齎し、10日間にかけて日本列島が低気圧になりました。

 

元々、テレビ番組の一企画に過ぎなかったSASUKEになぜか命をかけることでプロスポーツにまで押し上げ、あえて自らは完全制覇しないことによってその価値を高めたというSASUKE界の生き字引であり人間国宝である山田勝己さんが、全国の鉄工所でアルバイトをしている中年男性たちの希望の星であることは言うまでもありません。彼はSASUKEに熱中するあまりガスボンベ配送業の職をリストラされ、妻子持ちでありながら再就職もせず妻の父親が経営する鉄工所でアルバイトしながらSASUKEトレーニングの毎日を送りました。そんな彼が造り上げた彫刻のような175センチ75キロの肉体は、そり立つ壁やクリフハンガーを攻略するにはあまりにも重すぎましたが、その芸術性は各方面から高く評価され日本の筋肉百選にも選ばれました。

 

もはやSASUKEといえば山田勝己さんであると言われています。実際渋谷の女子高生100人に聞いた山田さんに関するアンケートでは、90%以上が「誰?」と回答しています。山田勝己という存在が実生活に浸透しすぎて、もはや名前を聞いただけではパッと思い浮かばないのです。また、播磨町の鉄工所でアルバイトをしている男性1人に聞いたアンケートでは、100%が「自分」と答えています。山田勝己はSASUKEの象徴的存在としてSASUKEというコンテンツを広めるための情報生命体となり、インターネットミームを通して我々の脳に偏在しているのです。ちょうどlainみたいに。

 

SASUKE選手としての山田さんは、特に件の騒動が起きる第12回大会まではまさに無双の一言でした。

 

1stステージはノーミスで進んでいてもなぜか残り10秒の警告音が鳴ってしまうという抜群の安定性。SASUKEについてあまりにも知り尽くしてしまったために、そり立つ壁に一回失敗した段階でもう間に合わないと諦めて腰に両手をあてて立ち尽くす姿は既に入神の域に達しており、日本史の教科書の「現代美術」のページに載せるべきです。

 

2ndステージでの異常なまでのメンタルの弱さは、この後嫌というほどわかるのでここでは書かないでおきます。そして万全を期した3rdステージの最後の最後で着地に失敗してしまうという詰めの甘さは、古き良きSASUKEの伝統であり、山田らしさ、つまりSASUKEらしさそのものです。当時のSASUKEは99%の山田と1%の古館伊知郎で出来ていたといっても過言ではありません。

 

第10回記念大会ではゼッケンがいつもの1~100ではなく記念大会仕様の901番~1000番となり、山田さんは栄光のゼッケン1000を背負いました。

 

他の有力選手、例えば長野誠秋山和彦、竹田敏浩に山本進悟らが次々と1stステージで脱落していく中、山田さんは孤軍奮闘の活躍を見せ、3rdステージまで駒を進めました。

 

ゼッケン979番から21人連続で1stステージリタイアしていたという絶望的な状況でこの活躍ですから、当時の観客の盛り上がりぶりは欣喜雀躍の様相を呈していました。

 

3rdステージも自宅の仮想SASUKEセットを使った練習の甲斐もあって盤石に攻略していきますが、結果は第6回同様最終エリアのパイプスライダーで無念の着地失敗となってしまいました。

 

この後のインタビューで、山田さんが泣涕しながら残した名言「俺には……さ、SASUKEしかないんですよ……」はもちろん2002年の流行語大賞に選ばれましたし、この大会の視聴率は200%を超え、SASUKEは名実ともにTBSの看板番組となりました。

 

さて、史上二人目の完全制覇者である長野誠さんが32回大会をもって引退した今、その長野さんが私淑しSASUKEに挑戦するきっかけとなった山田勝己について語るのは至極自然な流れであり、山田勝己を論ずるにおいて手袋取り忘れ事件のことは避けて通れません。

 

時は第10回大会から1年が経った2003年の秋、SASUKE第12回大会。前回大会ファイナリストの長野誠にゼッケン100番を譲り、前回2ndステージバランスタンクでリタイアした山田さんはゼッケン98として自身12回目のSASUKEに挑みました。

 

1stステージ。山田さんは特につまずくことなく順調に各エリアを攻略していきましたが、慎重すぎるペースが祟って残り時間1秒を切ったところで間一髪のクリアとなりました。このエンターテイナー性が、1stステージを数十秒残しで軽々とクリアしてしまう近年の有力選手たちには足りないような気がしてなりません。

 

そして挑む2ndステージ。ここでついにあの事件が起きます。

 

2ndステージではスタートエリアのチェーンリアクションにおいて、安全上の理由から手袋の着用が義務付けられており、挑戦前に山田さんは「手袋すぐ脱げるんかな」とスタッフに語り掛けていました。

 

いざ山田さんの番となり、チェーンリアクションは問題なくクリアし、因縁のエリアスパイダーウォークへ手袋をはめたまま突入します。ここでは手袋を脱がなければいけないルールとなっており、競技中にスタッフも「山田さん!手袋外して!手袋!」と呼びかけましたが、集中のあまり山田さんは手袋を脱がずにそのまま突入。ゴールボタンを押したものの、スパイダーウォークで手袋を脱がなかったため失格となり、実況からそのことを告げられた山田さんは、さしったり、と膝に手をついて項垂れました。

 

本放送では上記のシーンまでしか放送されていませんでしたが、その後の模様が後日「ZONE」という番組で放送されました。この後山田さんはスタッフのもとへ歩み寄り、「手袋を脱がなければならないとは聞いていたが、それをしない場合失格になるとは聞いていない」とコペルニクス的転回過ぎるクレームをし、スタッフはめんどくさくなりその抗議を受け入れ、次の挑戦者であるヨルダン・ヨブチェフの挑戦前に2ndの再挑戦を行いました。

 

二度目の挑戦はタイムアップギリギリまで追い込まれ、ウォールリフティングの3枚目の壁に足を挟まれながら中指でゴールボタンを押したものの、判定はタイムアップ。山田さんはボタンを指差し、「押したんですよ!」と不調を筐体のせいにする音ゲーマーが如く主張しメカニカルトラブルではないかと再クレーム。普通こういう場面ではテレビ番組であるということも加味すれば忌憚するのが常識だとは思いますが、山田さんはこれに命を懸けていますからね。ゼッケン100番長野誠の挑戦が終わった後前代未聞の再々挑戦をする事となりました。ここまでSASUKEの為に狂妄した人間は、冗談抜きで後にも先にもこの人以外いないでしょう。

 

再々挑戦は体力を使い果たしたのか、ブリッククライムというただ突起のついた壁を上るだけのつなぎ的エリアで落下し、結果スパイダーウォークでタイムアップ。その後山田さんはスタッフの静止を振り切ってゴールへと進み、右腕一本で片側のゴールゲートを破壊。勢い余ってゴール地点の下に転落してしまいました。

 

その後正式な判定として「最初の挑戦時に手袋を外さなかったことによる失格」という裁定が告げられ、挑戦者のなかで唯一2ndステージをクリアできなかった山田さんは涙を流し「長野誠が俺の分までやってくれると思います」と語り、彼の一番弟子であり刎頸の友である長野さんも思わず涙しました。

 

皮肉にも、山田さんが自分の弱い精神を鍛えなおすために寺を訪れ、プロ野球選手もやっている「護摩行」という荒行を行った直後に起きた出来事でした。

 

その後2、3回の引退を挟んだのち山田さんはSASUKEに復帰しましたが、この大会を後に1度も1stステージをクリアしていません。

 

 

こう書くと、山田さんはたった一度の過ちでアスリート人生を棒に振ったかのように見えるかもしれません。

 

確かに第三者の目線で見ればそうかもしれませんが、当の山田さん本人は全くSASUKEを諦めていません。何度SASUKEに夢を阻まれ、辛酸を舐め続けようが、山田さんにはSASUKEしかないのです。山田さんは黒虎という軍団を作り、後進に完全制覇の夢を託す一方、自身も弟子とともに日々トレーニングに励み、虎視眈々と出場機会を伺っています。

 

今の山田さんはただSASUKEにしがみついているだけの運動神経の鈍い筋肉ダルマのオッサンかもしれない。でも、ウサギだろうがカメだろうが、最後まで走り続けているヤツが一番偉いのです。

 

何度引退してもSASUKEへの情熱を捨てきれずにまた復活する山田さんの姿は、一度や二度の失敗で目標を棄ててしまう我々現代人に「諦めたらそこで試合終了ですよ……?」と教訓を与えているような気がしてなりません。

 

50歳になってもSASUKEに挑戦し続ける人がいる。大学時代にホモビデオ出演が発覚しドラフト指名を回避されてもプロ野球選手になれた人がいる。桃田、田児両選手も今回のことでめげずに次の東京オリンピックに向けて再起を図ってほしいものです。

 

瑕疵の無い人間なんていません。路線を外れてしまった人が、過ちを犯してしまった人が、一度は夢を諦めてしまった人が、ホテルの従業員に手を出してしまった人が、もう一度夢に向かって邁進することができる。そんなSASUKEを枢軸とした社会を山田勝己とともに作っていきたいです。

 

あ、僕が一番好きなSASUKE出場者は高橋賢次さんです。