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「三角食べ」はウソ!本当に適切な食べ方とは

まあ、ご飯の食べ方といってもいろいろある。

中でも、その食べ方や注文内容によって、最もその人の個性が分かれるチェーン店といえば、ご存知やよい軒に他ならない。

 

現在、俺はやよい軒の食べ方によって9パターンの自己分析ができる「ヤヨイグラム診断テスト」というものを作っている。完成にはあと8年ほどかかるが、これができた暁には俺は億万長者となり、二度とやよい軒に足を運ばない人生を送れるだろう。

そこで、まだ完成はしていないものの、ヤヨイグラム診断の一部をお見せしようと思う。

 

まずは、やよい軒に行く時間帯だ。

これによって、「昼やよい」か「夜やよい」の二パターンに分かれる。

昼やよいは、主にパチンコの合間に来る客が多い。対して夜やよいは、パチンコ帰りの客が大半を占める。

ここで気をつけたいのは、同じパチンカスでも、昼やよい型パチンカスと夜やよい型パチンカスでは全く指し示す意味が違うということだ。

本来、パチンコとは還元率30%を切る「負けるべくして負けるギャンブル」である。昼ならまだしも、夜にやよい軒で晩飯が食えるほどの金を残しているパチンカスなど本来いないのだ。

つまり、夜やよい型のパチンカスは、パチンカスの中でも奇跡的にパチンコで勝つことができた者。圧倒的勝ち組のパチンカスである可能性が高いのである。しかしながら、パチンカスとは得てして負け組である。勝ち組でありながら負け組になる運命を背負うことになるアンビバレンスな行為、それが夜やよいなのである。

 

次に注目すべきが、頼むメニューである。

「4種のチーズハンバーグミックス定食」や「特盛厚切りカルビ定食」を頼む客は、間違いなくブルジョワジーだ。彼らはその財力を生かし、ご飯のおかわりを一切せず、定食について来るポテトを残すというカルロスゴーンのような食べ方をする。

おそらく彼らは圧倒的支配者層であり、イルミナティメンバーであり、新世界秩序を作ろうとしているグローバリストに違いない。俺が昨日覚えた英単語を何一つ覚えていないのも、おそらく奴らの電磁波攻撃を受けているからだろう。

対照的に、「鯖の塩焼き定食」やサイドメニューしか頼まない客は、全財産が700円しかないのにやよい軒に来た狂人である可能性が高い。関わり合わないことをおすすめする。

 

本当はまだまだ項目があるのだが、これ以上書いているとその間にやよい軒の味噌汁が冷めてしまうので、ここまでにしておこう。

 

 

僕は元気です。

 

 

 

 

 

 

全ての物語の読後感は「安心感とカタルシス理論」で説明できる

皆様、ゴールデンウィークはいかがだったでしょうか。

 

僕は浪人生故に日本での基本的人権が認められていません。なので、ゴールデンウィークとか関係なく2週間以上休みがありませんでした。

 

しかし、ゴールデンウィークに休みがないことによって、連休明けのあの絶望感に満ちた心境で月曜日を迎えることもなく、今日も弥勒菩薩のような表情で授業を受けることが出来ています。やったね。

 

 

読後感を決定する二大要素

「安心感とカタルシス理論」という言葉をご存知でしょうか。

 

今僕が考えた言葉なので、おそらく知らないと思います。

 

端的に言ってしまえば、アニメ、漫画、小説、映画その他の「物語(ストーリーライン)」を分類するための基準です。

 

といっても、僕なんかが世の中全ての物語を分類しようというのはあまりにも差し出がましいですよね。

 

この基準は、あくまでも物語の要素のうちの一つ「読後感」に的を絞って分類するためのものです。

 

それにしても、僕たちはなぜ物語が好きなのでしょうか。

 

おそらく、それは「気持ちいいから」です。

 

僕たちは、殺生院キアラほどではありませんが、それなりに気持ちいいことが好きです。

 

長編であれ短編であれ、必ずそこには「読後感」といった言葉で表される気持ちが芽生えるはずです。

 

そして、僕たちはわざわざ自分が不快になるために物語を読みません。意識的あるいは無意識的に、自分が読みたい小説を読んだり、自分が観たい映画を観たりします。

 

物語が人間にもたらす快感は、大きく二つに分けられます。

 

「安心感」と「カタルシス」です。

 

僕が私淑するブロガー、ハルマキさんの言葉を借りれば、「安心感」=「ダウナー系脳内麻薬」、「カタルシス」=「アッパー系脳内麻薬」ということになります。

 

ゴルゴ13は日常系の極致

まず、「安心感」の方から説明します。

 

安心感指数が高い物語の例として、「ドラえもん」「日常系アニメ」「ゴルゴ13」「むこうぶち」「釣りバカ日誌」「24シリーズ」などが挙げられます。

 

一見、何の関連性もないように見えますが、これらの作品にはある共通点があります。

 

それは、「同じようなストーリーラインを繰り返す」ということです。

 

ドラえもんは必ずのび太くんをひみつ道具で助け、そのチャンスをのび太は毎回ふいにします。

 

ゴルゴ13が死ぬということは絶対にありません。彼は必ず自分のルール通りに行動し、正確に任務を遂行します。

 

ゴルゴ13は特に安心感の要素が強く、「究極の日常系」と言えるでしょう。

 

安心感の指数が高い物語は、似たようなストーリーラインを、使う道具や目標を変えることによって新鮮味をもたせながらなぞっていくという傾向があります。つまり、様式美を崩さないということです。

 

このような物語は、安心して観ることができ、かつ、ゲームのように飽きることなくいくらでも楽しむことができます。

 

 マリみては王道少年マンガ的ストーリー

カタルシス」というのは、まさにその逆。どんでん返しに次ぐどんでん返し、観る側は常にハラハラドキドキ。終わった後はぐったりと疲れ、日常生活では感じられない満足感と多幸感に包まれます。

 

カタルシス指数の高い物語の例としては、「マブラブオルタネイティヴ」「魔法少女まどか☆マギカ」「コードギアス」「マリア様がみてる」「ベルセルク(黄金時代)」「半沢直樹」「シリーズものでない映画全般」等です。小説やノベルゲームでよくある「伏線回収」もカタルシス指数の高い展開です。

 

これらの物語は、主人公が幾度となく危機に陥ったり、主要な登場人物がバンバン死んだりします。

 

マリア様がみてる」も、女子校という小さな世界の中の出来事ですが、等身大の女子高生の視点から見れば、レイニーブルー黄薔薇革命など明らかに危機的といえる状況が何度も発生します。少女小説でありながら男性からの支持も強いのは、随所に少年漫画のような「友情・努力・勝利」のエッセンスが散りばめられているからかもしれません。

 

カタルシス指数の高い物語は、危機を脱した時のほっとした感じを思う存分味わうことができますが、かなりのカロリーを消費するのでそう何度も読み返したりできるものではありません。映画は基本的に一話完結的で尺も長くて3時間なので、カタルシス指数の高い物語が多いです。

 

残念ながら、安心感とカタルシスを両立することは不可能です。天秤の両端に、安心感とカタルシスを同程度用意することは可能ですが、それは安心感指数の高い物語とカタルシス指数の高い物語をただ折衷しただけのものになります。

 

二つのどちらかが良いとかいうのではなく、それぞれの長所短所を理解することで、これからの皆様のオタクライフの一助となれば幸いです。

 

中高6年間を振り返っての所感

※この記事は去年の夏に書いた卒業文集を再編集したものです。「我ながら名文を書いたなあ」と思ったからブログに載せただけで、決して記事を書くのがめんどくさくなったわけではありません。

 

 

 

 

どうも。ドラゴンボールのヒロインは人造人間18号派のふっさんです。

 

卒業文集の内容ですが、出来ればこの年度のうちに卒業したい僕としては、後から読んだ時に自分がいつ卒業したのかがわかるように2016年に起きた出来事について書くというのがふさわしいように思えます。

 

そして、今文集を書いている2016年夏の一番ホットな話題といえば、一蘭梅田芝田店オープンリオデジャネイロ夏季オリンピックでしょう。

 

今回のオリンピック、日本選手は前回のロンドン五輪から見違えるような大活躍を見せたということは記憶に新しいです。僕が一番興奮したのは、ウサイン・ボルト選手の100m走でした。

 

しかし、オリンピックへの切符を獲得し、見事手に入れたチャンスを無駄にすることなく素晴らしい結果を残した選手たちがいる一方で、不祥事等さまざまな事情によって、オリンピックに出られる実力があるにもかかわらず出場を許されなかった選手、つまり「リオ決定じゃなかったべ!」な選手が大勢いることも事実です。

 

バトミントン、もといバドミントンの桃田賢斗田児賢一両選手がその最たる例といえるでしょう。方やメダル確実と言われていた日本バトミントン、もといバドミントン界のエース。方やロンドン五輪代表の経験もある実力派選手。彼らは共に違法賭博への関与が発覚したことで、無期限出場停止処分を受け、リオ五輪への出場を逃しました。どちらも名前に「賢」という文字が入っているというのは、運命のアイロニーを感じざるを得ません。

 

 

有力なアスリートの全盛期での失態という意味では、やはりあの事件のことを思い出さずにはいられないでしょう。

 

そうです。2003年の秋、TBS「SASUKE」第12回大会の2ndステージで起きた、山田勝己手袋取り忘れ事件です。

 

1990年代最大のマイルストーンが第二の加勢大周問題ならば、2000年代最大のマイルストーンはこの事件、あるいは和泉元彌ダブルブッキング事件であると言われています。時代の寵児である山田勝己さんの身に起きたこの事件は、全国に4000万人は潜在していると言われている彼のファンに悲嘆と失望を齎し、10日間にかけて日本列島が低気圧になりました。

 

元々、テレビ番組の一企画に過ぎなかったSASUKEになぜか命をかけることでプロスポーツにまで押し上げ、あえて自らは完全制覇しないことによってその価値を高めたというSASUKE界の生き字引であり人間国宝である山田勝己さんが、全国の鉄工所でアルバイトをしている中年男性たちの希望の星であることは言うまでもありません。彼はSASUKEに熱中するあまりガスボンベ配送業の職をリストラされ、妻子持ちでありながら再就職もせず妻の父親が経営する鉄工所でアルバイトしながらSASUKEトレーニングの毎日を送りました。そんな彼が造り上げた彫刻のような175センチ75キロの肉体は、そり立つ壁やクリフハンガーを攻略するにはあまりにも重すぎましたが、その芸術性は各方面から高く評価され日本の筋肉百選にも選ばれました。

 

もはやSASUKEといえば山田勝己さんであると言われています。実際渋谷の女子高生100人に聞いた山田さんに関するアンケートでは、90%以上が「誰?」と回答しています。山田勝己という存在が実生活に浸透しすぎて、もはや名前を聞いただけではパッと思い浮かばないのです。また、播磨町の鉄工所でアルバイトをしている男性1人に聞いたアンケートでは、100%が「自分」と答えています。山田勝己はSASUKEの象徴的存在としてSASUKEというコンテンツを広めるための情報生命体となり、インターネットミームを通して我々の脳に偏在しているのです。ちょうどlainみたいに。

 

SASUKE選手としての山田さんは、特に件の騒動が起きる第12回大会まではまさに無双の一言でした。

 

1stステージはノーミスで進んでいてもなぜか残り10秒の警告音が鳴ってしまうという抜群の安定性。SASUKEについてあまりにも知り尽くしてしまったために、そり立つ壁に一回失敗した段階でもう間に合わないと諦めて腰に両手をあてて立ち尽くす姿は既に入神の域に達しており、日本史の教科書の「現代美術」のページに載せるべきです。

 

2ndステージでの異常なまでのメンタルの弱さは、この後嫌というほどわかるのでここでは書かないでおきます。そして万全を期した3rdステージの最後の最後で着地に失敗してしまうという詰めの甘さは、古き良きSASUKEの伝統であり、山田らしさ、つまりSASUKEらしさそのものです。当時のSASUKEは99%の山田と1%の古館伊知郎で出来ていたといっても過言ではありません。

 

第10回記念大会ではゼッケンがいつもの1~100ではなく記念大会仕様の901番~1000番となり、山田さんは栄光のゼッケン1000を背負いました。

 

他の有力選手、例えば長野誠秋山和彦、竹田敏浩に山本進悟らが次々と1stステージで脱落していく中、山田さんは孤軍奮闘の活躍を見せ、3rdステージまで駒を進めました。

 

ゼッケン979番から21人連続で1stステージリタイアしていたという絶望的な状況でこの活躍ですから、当時の観客の盛り上がりぶりは欣喜雀躍の様相を呈していました。

 

3rdステージも自宅の仮想SASUKEセットを使った練習の甲斐もあって盤石に攻略していきますが、結果は第6回同様最終エリアのパイプスライダーで無念の着地失敗となってしまいました。

 

この後のインタビューで、山田さんが泣涕しながら残した名言「俺には……さ、SASUKEしかないんですよ……」はもちろん2002年の流行語大賞に選ばれましたし、この大会の視聴率は200%を超え、SASUKEは名実ともにTBSの看板番組となりました。

 

さて、史上二人目の完全制覇者である長野誠さんが32回大会をもって引退した今、その長野さんが私淑しSASUKEに挑戦するきっかけとなった山田勝己について語るのは至極自然な流れであり、山田勝己を論ずるにおいて手袋取り忘れ事件のことは避けて通れません。

 

時は第10回大会から1年が経った2003年の秋、SASUKE第12回大会。前回大会ファイナリストの長野誠にゼッケン100番を譲り、前回2ndステージバランスタンクでリタイアした山田さんはゼッケン98として自身12回目のSASUKEに挑みました。

 

1stステージ。山田さんは特につまずくことなく順調に各エリアを攻略していきましたが、慎重すぎるペースが祟って残り時間1秒を切ったところで間一髪のクリアとなりました。このエンターテイナー性が、1stステージを数十秒残しで軽々とクリアしてしまう近年の有力選手たちには足りないような気がしてなりません。

 

そして挑む2ndステージ。ここでついにあの事件が起きます。

 

2ndステージではスタートエリアのチェーンリアクションにおいて、安全上の理由から手袋の着用が義務付けられており、挑戦前に山田さんは「手袋すぐ脱げるんかな」とスタッフに語り掛けていました。

 

いざ山田さんの番となり、チェーンリアクションは問題なくクリアし、因縁のエリアスパイダーウォークへ手袋をはめたまま突入します。ここでは手袋を脱がなければいけないルールとなっており、競技中にスタッフも「山田さん!手袋外して!手袋!」と呼びかけましたが、集中のあまり山田さんは手袋を脱がずにそのまま突入。ゴールボタンを押したものの、スパイダーウォークで手袋を脱がなかったため失格となり、実況からそのことを告げられた山田さんは、さしったり、と膝に手をついて項垂れました。

 

本放送では上記のシーンまでしか放送されていませんでしたが、その後の模様が後日「ZONE」という番組で放送されました。この後山田さんはスタッフのもとへ歩み寄り、「手袋を脱がなければならないとは聞いていたが、それをしない場合失格になるとは聞いていない」とコペルニクス的転回過ぎるクレームをし、スタッフはめんどくさくなりその抗議を受け入れ、次の挑戦者であるヨルダン・ヨブチェフの挑戦前に2ndの再挑戦を行いました。

 

二度目の挑戦はタイムアップギリギリまで追い込まれ、ウォールリフティングの3枚目の壁に足を挟まれながら中指でゴールボタンを押したものの、判定はタイムアップ。山田さんはボタンを指差し、「押したんですよ!」と不調を筐体のせいにする音ゲーマーが如く主張しメカニカルトラブルではないかと再クレーム。普通こういう場面ではテレビ番組であるということも加味すれば忌憚するのが常識だとは思いますが、山田さんはこれに命を懸けていますからね。ゼッケン100番長野誠の挑戦が終わった後前代未聞の再々挑戦をする事となりました。ここまでSASUKEの為に狂妄した人間は、冗談抜きで後にも先にもこの人以外いないでしょう。

 

再々挑戦は体力を使い果たしたのか、ブリッククライムというただ突起のついた壁を上るだけのつなぎ的エリアで落下し、結果スパイダーウォークでタイムアップ。その後山田さんはスタッフの静止を振り切ってゴールへと進み、右腕一本で片側のゴールゲートを破壊。勢い余ってゴール地点の下に転落してしまいました。

 

その後正式な判定として「最初の挑戦時に手袋を外さなかったことによる失格」という裁定が告げられ、挑戦者のなかで唯一2ndステージをクリアできなかった山田さんは涙を流し「長野誠が俺の分までやってくれると思います」と語り、彼の一番弟子であり刎頸の友である長野さんも思わず涙しました。

 

皮肉にも、山田さんが自分の弱い精神を鍛えなおすために寺を訪れ、プロ野球選手もやっている「護摩行」という荒行を行った直後に起きた出来事でした。

 

その後2、3回の引退を挟んだのち山田さんはSASUKEに復帰しましたが、この大会を後に1度も1stステージをクリアしていません。

 

 

こう書くと、山田さんはたった一度の過ちでアスリート人生を棒に振ったかのように見えるかもしれません。

 

確かに第三者の目線で見ればそうかもしれませんが、当の山田さん本人は全くSASUKEを諦めていません。何度SASUKEに夢を阻まれ、辛酸を舐め続けようが、山田さんにはSASUKEしかないのです。山田さんは黒虎という軍団を作り、後進に完全制覇の夢を託す一方、自身も弟子とともに日々トレーニングに励み、虎視眈々と出場機会を伺っています。

 

今の山田さんはただSASUKEにしがみついているだけの運動神経の鈍い筋肉ダルマのオッサンかもしれない。でも、ウサギだろうがカメだろうが、最後まで走り続けているヤツが一番偉いのです。

 

何度引退してもSASUKEへの情熱を捨てきれずにまた復活する山田さんの姿は、一度や二度の失敗で目標を棄ててしまう我々現代人に「諦めたらそこで試合終了ですよ……?」と教訓を与えているような気がしてなりません。

 

50歳になってもSASUKEに挑戦し続ける人がいる。大学時代にホモビデオ出演が発覚しドラフト指名を回避されてもプロ野球選手になれた人がいる。桃田、田児両選手も今回のことでめげずに次の東京オリンピックに向けて再起を図ってほしいものです。

 

瑕疵の無い人間なんていません。路線を外れてしまった人が、過ちを犯してしまった人が、一度は夢を諦めてしまった人が、ホテルの従業員に手を出してしまった人が、もう一度夢に向かって邁進することができる。そんなSASUKEを枢軸とした社会を山田勝己とともに作っていきたいです。

 

あ、僕が一番好きなSASUKE出場者は高橋賢次さんです。

バイアスを丸裸にする「確率」という発明品

小学校の卒業制作で、一人一つ好きな四字熟語を選び、書写するというものがありました。

 

僕は「初志貫徹」を書いたんですが、卒業式の式辞で校長先生が、卒業生たちが書いた数多くの四字熟語の中から僕の「初志貫徹」を選んで取り上げてくれました。

 

当時僕は精神科医になることを志しており、校長先生を裏切らないためにも絶対にその初志を貫徹しようと心に固く誓いました。

 

それから6年の月日が経ち。僕は特に勉学に邁進したわけでもなく、毎日欠かさずやったことといえばネト麻とオナニーくらい、という学生生活を送りました。

 

もちろんそんな放蕩な振る舞いをしてきた人間が医学部に入れるわけがありません。「理系は無理だな」と悟り、高3で文転してまで受けた大学も落ちて浪人してしまいました。ごめん、校長先生。

 

今の座右の銘は「生きてりゃOK」です。頑張ろう日本。

 

 

認知バイアスは至る所に潜んでいる

 「認知バイアス」と言うと、あまり聞きなれない方がいるかもしれません。

しかし、中身はごく単純な内容で、「日常の場面で発生する、統計学や記憶に関する誤り」という意味の心理学用語です。

例を挙げると、以下のような種類があります。

 

・後知恵バイアス(一つ前の記事で言及しています)

過去の事象をあたかも「自分は予測可能だった」かのように振る舞うこと

・確証バイアス

自分が支持する仮説や信念を支持する情報ばかり集め、反証する内容の情報を無視すること

コンコルド効果

金銭的、時間的、精神的な投資が損失につながっていると分かっているにも関わらず、それまでの投資を惜しんでやめられないこと

 

認知バイアスはこの他にも無数の種類があり、まだ名前がつけられていない認知バイアスもあるでしょう。いずれも本来の意思決定を歪めたり、場合によっては人生そのものに影響を与えてしまう可能性もある厄介なものです。

 

それら全てを無くそうとすると出家するか自殺するくらいしか解決策が見つかりませんが、それでも、「確率」を使えばある程度の認知バイアスは未然に防ぐことができると僕は考えています。

 

そもそも確率とは何か

日本の大学生が論文を書く際に最も利用するサイト、Wikipediaによると

 

 確率(かくりつ、英: probability)とは、偶然性を持つある現象について、その現象が起こることが期待される度合い、あるいは現れることが期待される割合のことをいう。確率そのものは偶然性を含まないひとつに定まった数値であり、発生の度合いを示す指標として使われる

 

つまり、確率を使える場面というのは、次の条件を満たす場合に限るということです。

・その現象が偶然性を含む(宝くじが当たることや、マリオカートで現在8位のプレイヤーがスターをゲットすることなど)

・その現象が起こることが期待される度合いが、実際に計算できること(=ある時点、ある状況において、その現象は必ず同じ確率Pで起きるということが明らかである)

 

よって、先ほどの「確率を使えば、ある程度の認知バイアスは防ぐことができる」という文言は、より正確に言い直すと「確率を使えば、ある程度の統計にまつわる認知バイアスは未然に防ぐことができる」となります。

 

確率が直感に勝った実例

 30年ほど前、モンティ=ホールという男性が司会者を務めるアメリカの人気ゲームショー番組「Let's make a deal」で、以下のようなゲームが行われました。

 

・プレーヤーの前に閉まった3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろには、はずれを意味するヤギがいる。

・プレーヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。

・プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。

・ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。

プレイヤーはドアを変更すべきだろうか?

 

一見、変えても変えなくても新車が当たる確率は変わらなさそうです。

しかし、結論から言うと、「ドアを変更した方が景品が当たる可能性が高くなる」のです。

 

「最もIQの高い人間」としてギネスブックにも掲載されている女性マリリン・ボス・サヴァントがニュース雑誌に連載しているコラム「マリリンにおまかせ」の読者投稿で、このモンティ=ホール問題にまつわる質問がありました。

そこで、彼女はこう解答しました。

「正解は『ドアを変更する』である。なぜなら、ドアを変更した場合には景品を当てる確率が2倍になるからだ」

すると直後から、読者からの「彼女の解答は間違っている」との約1万通の投書が殺到し、本問題はアメリカ全土を巻き込む大議論に発展しました。

名のある大学で博士号を取っている、いわゆる「数学のプロ」ですら「答えはどちらも1/2だ」と非難し、さらには「女性は数学ができないからこんな問題も分からないんだ」とレッテル貼りをする人間まで現れました

しかしながら、先程も書いた通り、この問題の答えは「ドアを変更した方が当たる確率が高くなる」なんです。

つまり、普段から数学や確率に慣れ親しんでいるはずの人間でさえ、バイアスに左右されて本質を見誤っていたのです。

 

なぜドアを変えた方が良いのかは、たった1フレーズで簡単に説明がつきます。

「確率は条件次第で変動する」ということです。

 

黒ひげ危機一発を思い出してください。

最初、穴が30個空いているとします。

ここでアタリ、つまり黒ひげが飛び出す穴に剣を刺す確率は1/30です。

今、穴の一つに剣を刺し、セーフとなりました。

さて、ここでもう一本刺す時、アタリの穴に刺してしまう確率は何分の1でしょうか。

 

そう、29分の1です。「ハズレの穴に一本剣を刺した」という行為によって、アタリの穴に剣を刺す確率が変動したのです。

 

ここまで言えば、あとは自明かもしれませんが、一応モンティ=ホール問題の解答を以下に示します。

 

【解答】

ドアを変更せずに景品が当たる確率をP(A)、ドアを変更して景品が当たる確率をP(B)とする。

まず、最初に選んだドアがアタリである確率は1/3であり、最初に選んだドアがハズレである可能性は2/3である。

 

1.ドアを変更しない場合

最初に選んだドアがアタリであればそのままアタリ、最初に選んだドアがハズレであればそのままハズレとなる。

つまりP(A)=1/3である。

 

2.ドアを変更する場合

最初に選んだドアがアタリであれば、司会者はハズレである二つのドアのうち一つを開け、その結果残ったもう一つのハズレのドアを選ぶことになる。

最初に選んだドアがハズレであれば、司会者は残った二つのドアのうちハズレの方のドアを開け、その結果残ったアタリのドアを選ぶことになる。

つまり、最初に選んだドアがアタリであればハズレ、最初に選んだドアがハズレであればアタリのドアを最終的に選ぶことになる。

よって、P(B)=2/3である。

 

以上より、ドアを変更した方が景品が当たる確率が高くなる。

 

転ばぬ先の確率計算

このように、たとえ数学者のような確率に慣れ親しんだものであっても、咄嗟の判断だとバイアスがかかって統計的に間違っていることを正しいと言い張ってしまうことは多々あります。

確率が絡む判断を迫られた場合は、早計に判断を下す前に、紙とペンを使って正しい確率若しくは期待値を計算してみてはいかがでしょうか。

まあ、纏めると

「ルーレットで4回連続で赤が出たら次は絶対黒が出る」って言い張ってた島田◯助はやばい

以上です

 

 

「赤ちゃんにはちみつはタブー」って本当に「一般常識」?

野球中継で投手が打者にデッドボールを当てると、たまに実況とか解説の人が「これは当てたピッチャーも痛いですね」って言いますよね。

あれを聞くたび「DV夫の自己弁護かよ」ってツッコミを入れてしまいます。当てられた方が痛いに決まってるでしょ。

 

 

「一般常識」の線引き

数日前、「市販のジュースにはちみつを混ぜた離乳食を赤ちゃんに食べさせたところ、乳児ボツリヌス症で死亡した」というニュースをめぐり、Twitterが荒れに荒れました。

特に「こんなことも知らないとか情弱過ぎる」「母親なんだからそれくらい知っておくべき」みたいな見解がよく見受けられました。

もちろん、こういったコメントを投稿している人たちのほとんどは小さい頃からこの知識を知っていて、常識だと思っているのでしょう。

ですが、これって本当に一般常識なんでしょうか。

 

乳児ボツリヌス症とはちみつとの因果関係が明らかになり、正式に「1歳未満の乳児にはちみつを与えてはならない」と厚生省が通知したのは1987年のことです。戦前からの常識とかならともかく、つい30年ほど前に明らかになった生物学的知識が、日本全国の子を持つ人間にとって絶対的な既知の事実ということがあり得るんでしょうか。

それとも、こんな懸念をしてしまうこと自体大変失礼なんですが、「赤ちゃんにはちみつはタブー」であることを「一般常識」だと豪語している人たちは、もしかすると後知恵バイアスに酔っているだけなのかもしれません。

 

後知恵バイアスとは何か

後知恵バイアスとは、物事が起きてからそれが予測可能だったと考える傾向のことです。

所謂「そうだと思った」「そうなるって分かってた」ってヤツです。

麻雀でもいますよね。放銃したくせに後から「うわ~やっぱり。この牌当たると思ってたんだよな~」とか言っちゃう人。じゃあ最初から切るなよ。

 

でもこれだけだと「後知恵バイアスに酔っちゃダメなの?確かに結果論でものを語る人は気に入らないけど、言ってることは正論だし、啓蒙活動は悪いことじゃないでしょ」と言われてしまいそうです。

ですが、断言します。

後知恵バイアスに酔っても何のメリットもない!

 

なぜ後知恵バイアスに酔うとダメなのか

後知恵バイアスに酔った人間による啓蒙活動、これ自体は価値があると思います。実際、僕もわざわざ教えを乞わなくても勝手に啓蒙してくれる人が常時Twitterのタイムラインに流れてくるおかげで、たくさんの「一般常識」を知ることができました。しかし、後知恵バイアスに酔っている側の人間は何も得られません。

後知恵バイアスにかかって、Twitterで結果論を垂れ流してしまう思考プロセスはこんな感じです。

 

ニュース等を見ることにより、ある知識Aを知る

後知恵バイアスによって、「自分は以前から知識Aを知っていた」と思い込む

知識Aを知らない人に教えたくなる

ついでに「知識Aは一般常識」ということにすれば、啓蒙と同時にマウンティングもできちゃうじゃん!一石二鳥!俺って天才!バース!メンチ!コンラッド

 

こうなってしまうと、もう後がつけられません。この一連の流れが悪い事件を見たことによって起きたなら、「そうなることはわかっていたはずだ」と不当にモノや個人に対する評価を下げ、良い事件なら、「こうすれば必ずうまくいくと思ってた」とたとえギャンブル的要素が強くてもその決定を不当に高く支持してしまいます。

いずれにしても、後知恵バイアスによって「自分は常識のある人間だ」と勘違いしてしまい、意思決定の質が格段に落ちてしまうことは明らかです。

また、新しい知識に対する感度が悪くなり、本当は未知である情報であっても「俺はそんなこと昔から知ってたから」と流してしまいがちになります。

 

後知恵バイアスは、知識にとっての血栓のような存在です。早期発見を心掛け、見つけ次第除去することが大切です。

まあ、纏めると

「知ってるやろ」は馬鹿野郎

以上です

 

自分の個性を知りたいなら「100回やっても飽きない」ものを探そう

浪人仲間3人に聞いたアンケート調査によると、「1週間に1度はオナニーをする」と答えた割合は100%にも上りました。

やはり、受験戦争(たたかい)を制するにおいて、邪婬(オナニー)とは唾棄すべき行為(つみ)であるということでしょう。

手始めに、オナニーをせずとも覇気のみで射精する技術を身につけることにしました。

 

ハァ〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!!

 

 

皆さんは「クーリッジ効果」という心理学用語をご存知ですか。

端的に説明すると「哺乳類、特に雄の個体は、新しい性的パートナーを発見すると性的欲求が回復する」という何とも我儘な効果のことです。

男性が浮気をしやすかったり、アダルトサイトに頻繁にアクセスしてしまうのは、このせいなんですね。

 

さて、性的なものはともかく、食べ物や音楽でも「同じものを100回食べる」とか「同じ曲を100回聞く」となると、さすがに飽きてきますよね。

回らない寿司だって最初は回転寿司とのクォリティの違いに感動はするものの、とても毎日は食べられません。ドビュッシーの名曲も、一日中繰り返して聴いているとトランス状態を通り越して悪酔いしてしまうでしょう。

普通、趣味とはいつか飽きるものです。これは上にある物体が下へと落下したり、エントロピーが増大するのと同じ、不可逆の自然法則です。この法則が働かないと、大の大人が毎日アンパンマンを観て興奮し、外ではみんな紅白帽を曲げて「ウルトラマン!」とかやってる地獄絵図が発生します。

 

でも、人間3つくらいは「100回やっても飽きない」「毎日触れていたい」ものってあるんですよね。

僕の場合、「SASUKE」「マリア様がみてる」「麻雀」がそうです。

山田勝己さんがSASUKE第6回大会3rdステージのパイプスライダーでゴール地点の着地に失敗して失格となるシーンは既に500回は見てますし、マリみては文庫本と電子書籍で1セットずつそろえており、その日の気分に合わせてエピソードを読み返しています。オンライン麻雀の天鳳で5回連続ラスを引いて不貞寝しても、次の日にはまた打ってしまいます。

 

そして、そんな「100回やっても飽きない」ものを3つ並べると、1億2000万人いる日本人もかなり絞られていきます。「SASUKEと麻雀が好き」の時点で200人くらいしかいないんじゃないでしょうか。そこに付け加えて「マリア様がみてるも好き」な人間となると、国内では僕一人しかいないでしょう。というか、僕以外に居たら気持ち悪いです、そんな趣味の奴。

 

これを個性と呼ばなくてなんというのでしょう。

 

自分の個性が分からない場合は、こんな感じで「100回やっても飽きない」ものを3つ見つけて、「この3つが好きなのは自分だけ」という自信を持つとよいのではないでしょうか。1つだけだとたくさん同じものが好きな人が居ますが、3つだと必ずオンリーワンになれます。

1つだけで個性的になろうとすると、「『インディーズだから分からないと思うよ』って周りに言いたいがためにインディーズバンドの追っかけをする」みたいな趣味と個性の逆転現象が起きてしまうので、そこは難しいところですね。

本当に好きなものかどうかは何年か経ってから分かってくるものなので、まずは気楽に楽しむのが一番だと思います。

 

まあ、纏めると

俺には…SASUKEとマリみてと麻雀しかないんですよ…

以上です。